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東京地方裁判所 昭和54年(ワ)66号 判決

原告

若松平

被告

高橋かく

ほか四名

主文

一  被告高橋かくは、原告に対し、八六万六六六六円、被告高橋功、被告横内敦子及び被告高橋眞は、各自原告に対し、五七万七七七七円、被告高橋圭子は、原告に対し、二六〇万円及び右各金員に対する昭和五四年一月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告の、被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを五〇分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告高橋かく(以下「被告かく」という。)は、原告に対し、五〇七二万八五九三円、被告高橋功(以下「被告功」という。)、被告横内敦子(以下「被告敦子」という。)及び被告高橋眞(以下「被告眞」という。)は、各自原告に対し、三三八一万九〇六二円、被告高橋圭子(以下「被告圭子」という。)は、原告に対し、一億五二一八万五七七九円及び右各金員に対する昭和五四年一月一八日から支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

原告は、昭和五〇年七月一七日午後二時三〇分ころ、普通乗用自動車(練馬五五ら三〇二一、以下「被告車」という。)を運転し、浦和市大字南部領辻三一一五番地付近交差点(以下「本件交差点」という。)を越谷方面から大宮方面へ向けて時速五〇キロメートルで直進しようとしたところ、進行方向左側の交差道路から出てきた被告圭子運転の普通乗用自動車(埼五五つ九一七九、以下「加害車」という。)前部に自動車左側方を衝突され、その反動で対向車線に進入して、折から対向してきた普通乗用自動車(埼五六せ二〇七五、以下「対向車」という。)右側方に自車前部を衝突させた(以下「本件事故」という。)。

2  責任原因

(一) 訴外高橋聰夫(以下「訴外聰夫という。)は、本件事故当時加害車を所有し自己のために運行の用に供していた者であるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条により、原告の後記損害を賠償すべき責任があるところ、同人が昭和五一年五月二日死亡したため、同人の妻被告かく、長男被告功、長女被告敦子及び次男被告眞は、訴外聰夫の右損害賠償義務を法定相続分に従いそれぞれ相続した。

(二) 被告圭子は、加害車を運転して本件交差点に差し掛かつた際、本件交差点手前の進路上に一時停止標識が設置されていたのであるから、本件交差点手前で一時停止をしたうえ、優先道路である交差道路を通行する車両の進行を妨害しないよう進路前方及び側方の安全を確認し徐行して本件交差点を通過すべき注意義務があるのにこれを怠り、ブレーキとアクセルとを踏み間違えて被告車の直前に飛び出し、その進路を妨害した過失により本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条により、原告の後記損害を賠償する責任がある。

3  原告の障害及び治療経過

原告は、本件事故により、脳内出血、脳動脈・椎骨動脈変形・脳血栓初期状態、外傷性てんかん・頚椎骨折、頚椎外傷による左上肢拍動消失、発作性上室性頻拍症・腰椎骨折の各傷害を負い、博仁会共済病院に昭和五〇年七月一七日から同月二五日まで入院し、大宮中央病院に同月二八日から同年八月二〇日まで入・通院し、同月二一日渋谷診療所に通院し、大宮赤十字病院に同月二二日から同年九月一八日まで入院し、名倉病院に昭和五一年四月二七日から同年五月二一日まで入・通院し、さらに同年五月二四以降は日大板橋病院で通院治療を継続しているほか、昭和五二年一月三一日から昭和五三年六月三〇日まで矢部病院でリハビリを受け、昭和五二年一〇月五日から昭和五三年六月三〇日までの間赤羽中央病院にも通院したが、治療せず、昭和五三年一〇月三一日症状が固定した。原告は、現在も著名なてんかん波が出現して発作に悩んでいるほか、脳動脈・椎骨動脈の血流障害による激しい耳なり、めまい、後頭部痛、頚部痛、両上肢の激しい電気様しびれ感、脳にゆく酸素不足のため、長時間の思考の困難、腰痛、背部痛及び長時間の歩行困難などの後遺障害が残り、右障害は、労働者災害補償保険法施行規則一四条一項別表第一障害等級表の障害等級(以下「労災障害等級」という。)の三級に該当する。

4  損害

(一) 治療費 三五八万七六三二円

(1) 博仁会共済病院 一二万七六二〇円

(2) 大宮中央病院 三四万七五四〇円

(3) 大宮赤十字病院 八五万六一一二円

(4) 名倉病院 五四万四〇五〇円

(5) 日大板橋病院 七一万五二二五円

(6) 矢部病院 九一万三一〇〇円

(7) 赤羽中央病院 八万三九八五円

(二) 付添看護費 一一九万三一三八円

(1) 名倉病院入院付添婦代 一一万〇二三八円

(2) 妻の入院付添看護費用及び交通費(一〇七日入院、一日に付き二〇〇〇円) 二一万四〇〇〇円

(3) 妻の通院付添看護交通費 一四万四九〇〇円

(4) 妻の通院付添諸雑費(通院実日数七二四日、一日に付き一〇〇〇円) 七二万四〇〇〇円

(三) 入院雑費(一日に付き一〇〇〇円) 一〇万七〇〇〇円

(四) 通院交通費 二八万九八〇〇円

(五) 通院雑費(一日に付き二〇〇〇円) 一四四万八〇〇〇円

(六) 休業損害 一九五七万五〇七二円

原告は、サン・クロレラの営業販売員として月収三三万四〇〇〇円及び年二回のボーナス二か月分を得ていたが、本件事故により昭和五〇年七月一七日から昭和五三年一〇月三一日までの約三年三か月余りの間休業を余儀なくされた。したがつて、本件事故当時の年収にスライド率一・一一を乗じてその間の休業損害を算出すると、その金額は、次の計算式のとおり一九五七万五〇七二円となる。

(計算式)

三三万四〇〇〇円×一六×一・一一×三・三=一九五七万五〇七二円

(七) 逸失利益 一億〇九二七万〇四二四円

原告は、本件事故当時三六歳であつて、本件事故に遭遇しなければ平均余命の範囲内で六七歳まで就労が可能であつたが、本件事故により労災障害等級三級に該当する後遺障害を被り労働能力を一〇〇パーセント喪失した。したがつて、原告が六七歳までの三一年間就労可能であつたものと考えて、本件事故当時の前記年収にスライド率一・一一を乗じたものを基礎とし、中間利息控除をホフマン方式で行つて原告の逸失利益を算出すると、その金額は、次の計算式のとおり一億〇九二七万〇四二四円(一円未満切捨て)となる。

(計算式)

三三万四〇〇〇円×一六×一・一一×一八・四二一=一億〇九二七万〇四二四円

(八) 慰藉料 合計三〇五二万円

(1) 入院慰藉料 七八万七五〇〇円

入院合計日数一〇七日(この中には、昭和五三年二月てんかん発作に襲われて西大宮病院に入院し酸素吸入を受けた四日分を含む)を約三・五か月と考え、一か月二二万五〇〇〇円の割合で入院によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料を計算すると、その金額は、七八万七五〇〇円となる。

(2) 通院慰藉料 五七五万円

通院実日数七四八日を二倍すると約五〇か月となるから、一か月一一万五〇〇〇円の割合で通院によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料を計算すると、その金額は、五七五万円となる。

(3) 後遺症慰藉料 一〇〇〇万円

原告は、前記のとおり、本件事故により労災障害等級三級に該当する後遺障害を被つたものであるから、その精神的苦痛に対する慰藉料としては一〇〇〇万円が相当である。

(4) 被告らの本件事故後の態度による精神的苦痛に対する慰藉料 一五〇〇万円

被告らは、原告が最初に博仁会共済病院に入院中三回挨拶に来たほかには原告を一顧だにしないばかりでなく、医師と結託して原告の治療を妨害したため、原告は、十分な治療を受けられずに入退院を繰り返さざるをえなくなり、また、原告の請求にもかかわらず、被告らが治療費の支払に応じなかつたため、その捻出のために重大な苦痛を味わつた。とりわけ、原告の症状が極めて悪く、外傷性てんかんと診断されているにもかかわらず、被告らが誠意をもつて被害の回復をはかろうとしないのは、不当抗争ともいうべきものであつて、かかる被告らの態度に対する制裁の意味も含め、原告のこのような精神的苦痛を慰藉するためには一五〇〇万円をもつてするのが相当である。

右(1)から(4)までの合計は三一五三万七五〇〇円となるが、本訴訟ではその一部である三〇五二万円を慰藉料として請求する。

(九) 弁護士費用 一五万円

原告は、被告らと本件事故による損害賠償の交渉をするため弁護士を依頼し、その手数料として一五万円を支払つたが、右弁護士は昭和五二年八月二日解任した。

(一〇) 損害のてん補 一三九五万五二八六円

原告は、本件事故により、自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)から一〇〇万円、労働者災害補償保険(以下「労災保険」という。)から、休業補償として九八六万八八一二円、治療費として三〇八万六四七四円の支払を受けた。

5  結論

よつて、原告は、被告かくに対し、法定相続分に従い右損害金の一部一億五二一八万五七七九円の九分の三である五〇七二万八五九三円(一円未満切捨て)、被告功、被告敦子及び被告眞に対し、それぞれ法定相続分に従い右損害金の一部一億五二一八万五七七九円の九分の二である三三八一万九〇六二円(一円未満切捨て)、被告圭子に対し、右損害金の一部である一億五二一八万五七七九円及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日以降である昭和五四年一月一八日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払うよう求める。

二  請求原因に対する認否及び主張

1  請求原因1(事故の発生)の事実は認める。

2  請求原因2(責任原因)の事実のうち、(一)の、本件事故当時訴外聰夫が加害車を所有していたこと及び同人が昭和五一年五月二日死亡したため、同人の妻被告かく、長男被告功、長女被告敦子及び次男被告眞が、訴外聰夫に属した一切の権利義務を法定相続分に従いそれぞれ相続したことは認めるが、(一)のその余の事実及び(二)の事実は否認する。

被告圭子は、本件交差点に差し掛かつた際、交差点の手前に一時停止標識を認めたため、本件交差点の約三メートル手前の地点に一旦加害車を止めて前方左右の安全を確認しようとしたが、道路の両側に人の背丈以上に木木が生い茂つていて左右の見通しがきかないため、交差道路の左右の安全を確認するつもりで時速一、二キロメートルの速度で徐行しながら再び進行し始めた。そして、被告圭子は、本件交差点の約一・二メートルの地点で交差道路の右方のかなり離れたところに被害車を認めたが、被害車が本件交差点に進入する前に交差点を通過できるものと判断し、そのままの速度で進行しながら交差道路の左方の安全を確認した後再び右方を見たところ、加害車が予想に反して間近に迫つていたため、危険を感じて急制動をかけるも及ばず、加害車の前部が被害車の左側面に接触してしまつたものである。したがつて、被告圭子は、一時停止義務、徐行義務、前方左右の安全確認義務をいずれも履行しており、また、ブレーキペダルとアクセルペダルを踏み間違えた事実はないから、同被告に本件事故について過失はないというべきである。

3  請求原因3(原告の傷害及び治療経過)の事実について

(一) 原告が、博仁会共済病院、大宮中央病院、大宮赤十字病院、名倉病院、日大板橋病院、矢部病院、赤羽中央病院に入・通院したことは認めるが、その余はすべて否認する。

(二) 本件事故の際の加害車と被害車の接触の程度は、被害車の左側面に傷がついた程度の軽徴なものにとどまり、対向車との接触の程度も、ほとんど止まつていた状態の対向車の右前部フェンダーに被害車の右前部が接触したにすぎない。また、原告は、本件事故直後、被害車から降り立つた際、被告圭子に対し「誰も怪我をしなくてよかつた。」と述べ、対向車を運転していた訴外木村義男が原告の身を案じると「大丈夫です。」と答えていたのであり、その後自ら被害車を運転して約二〇キロメートル走行するなどしていた。さらに、救急車が原告を収容したのは本件事故発生後約三時間経過してからであり、原告は、その際も現場検証に立ち合つて警察官を指図したり歩き回つたりしていた。したがつて、本件事故の態様及び本件事故直後の原告の言動から見て、原告が本件事故により原告主張のような傷害を負つたとは到底考えられない。

原告は、現在まで七つの病院に転院しているが、そのうち、博仁会共済病院、大宮中央病院、大宮赤十字病院及び名倉病院においては、原告の主訴のみに基づいて傷病につきほとんど同様の診断を下しており、その診断の正確性は疑わしく、原告にとつて転院の必要性はなかつたというべきである。

また、日大板橋病院における外傷性てんかん及び腰椎骨折の診断についても、本件事故の態様が右傷害を引き起こすような態様のものではなかつたこと、昭和五三年六月の診断時までてんかんの異常や腰の痛みの訴えが見受けられなかつたこと、同時期に診断した矢部病院においては、てんかん異常の診断がなされていないことなどから考えると、その正確性については疑問を抱かざるを得ない。

(三) 原告は、昭和五〇年四月ころ、自ら経営していた学習塾が経営困難に陥つたため、妻がノイローゼになり、自身もその看病と心労及び生来の神経症的性格によつてノイローゼ気味であつた。原告は、このような精神状態のとき本件事故に遭遇し、今までの潜在的な神経症及びてんかん質が顕在化したものと思われる。したがつて、仮に原告にその主張する傷害及び後遺障害が認められるとしても、その症状には原告の素因である心因神経症及び生来のてんかん質が大きな影響を及ぼしているから、右傷害及び後遺障害と本件事故との間には相当因果関係がないというべきである。

(四) 原告は、本件事故より約四〇日前の昭和五〇年六月六日午後三時三〇分ころ、普通乗用自動車を運転して埼玉県越谷市神明町二丁目三七番地先神明交差点において赤信号のため停止中、後方から時速二〇キロメートルないし二五キロメートルの速度で走行してきた訴外山田勝美(以下「訴外山田」という。)運転の普通乗用自動車に追突される交通事故に遭遇し、傷害を負つた。原告は、右事故後から、頭部頚部の痛み、しびれを訴えて病院やマッサージに通い、訴外山田からその治療費を受け取つており、したがつて、原告に仮にその主張する傷害及び後遺障害が認められるとしても、それは訴外山田との間の前記交通事故によるものであるから、本件事故との相当因果関係はないというべきである。

4  請求原因4(損害)の事実のうち、(一〇)(損害のてん補)の事実は認めるが、その余はすべて否認する。

三  抗弁

1  過失相殺

本件交差点付近は、半径五〇メートルほどの弧を描くカーブ上にあり道路交通法(以下「道交法」という。)四二条二号にいう道路のまがりかどに該当するうえ、浦和市立野田小学校、しらさぎ幼稚園などが存在するため、スクールゾーンに指定されており、原告は、通勤の行き帰り本件交差点を通行して右事実を知悉していたのであるから、原告としては、本件交差点付近が見通しのきかない地点であつて道交法上も徐行義務があり、学童幼児が急に飛び出す可能性のあることを警戒して減速するとともに、前方を注視し安全に運転すべき注意義務があつたのにこれを怠り、時速五〇キロメートルの制限速度を越える速度で走行していたため、本件事故を避けることができなかつたものである。

また、本件事故当時、加害車は本件交差点に被害車より明らかに先入していたのであるから、原告としては、本件交差点に進入するに当たり、加害車を優先的に進行させるべく直ちに制動措置を講じて減速徐行する注意義務があつたのにこれを怠り、漫然制限速度を越える速度で進行を続けたため本件事故が発生したものである。

したがつて、原告の損害の算定に当たつては、損害の公平な分担の観点から原告の右過失を斟酌して相当額を減額すべきである。

2  弁済

原告は、労災保険から、原告主張の休業補償及び治療費のほか、昭和五三年一一月一日から昭和五九年四月三〇日までの間、傷病補償年金として合計一九二七万〇八四八円及び傷病特別年金として合計三九〇万三二四七円の支払を受けた。

四  抗弁に対する認否

抗弁1(過失相殺)及び同2(弁済)の事実はすべて否認する。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  請求原因1(事故の発生)の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、被告らの責任原因について判断するに、請求原因2(責任原因)の事実のうち、(一)の、本件事故当時訴外聰夫が加害車を所有していたこと及び同人が昭和五一年五月二日死亡したため、同人の妻被告かく、長男被告功、長女被告敦子及び次男被告眞が、訴外聰夫に属した一切の権利義務を法定相続分に従いそれぞれ相続したことはいずれも当事者間に争いがなく、いずれも成立に争いのない甲第二五号証の三ないし一六、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨により昭和五三年一一月一九日当時の本件事故現場の写真であると認められる甲第二六号証の一及び二、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。

1  本件事故当時、被告圭子は、夫である被告功の父訴外聰夫から加害車の貸与を受けて運転していたものである。

2  本件事故現場は、越谷方面から大宮方面に通ずる車道幅員約六・七メートルのセンターラインによる車線区分のある片道一車線の道路(以下「第一道路という。」という。)と大崎方面から中野田方面に通ずる車道幅員約三・二メートルのセンターラインによる車線区分のない道路(以下「第二道路」という。)とがほぼ十字型に交わる交差点である。

3  本件交差点から大崎方面に約六・七メートル離れた第二道路上には一時停止標識が設置されているが、その地点の右道路の両側は農園となつていて人の背丈を越える木が生い茂つているため、交差する第一道路の見通しは悪い。

4  第一道路は、越谷方面から見て緩やかに右にカーブし、制限速度は時速五〇キロメートルとなつており、右道路上には本件交差点の存在を示す道路標識はないが、右道路の大崎方面側には幅員約一・二メートルの歩道が設けられているので、第二道路の大崎方面側から本件交差点に進入しようとする車両は、右車両が交差点の手前約一・二メートルの地点に差し掛かつた段階で第一道路上から発見することができる。

5  被告圭子は、第二道路を大崎方面から中野田方面へ向けて進行中に本件交差点に差し掛かり、一時停止標識に従い右交差点の手前で停止して交差する第一道路の安全を確認しようとしたが、道路の両側に木が生い茂つていて第一道路を走行する車両の有無を確認することができなかつたため、再び発進して第一道路の走行車両を確認できる位置まで出ようとしたところ、誤つて本件交差点内に進入してしまい、第一道路右方から被害車が接近してくるのを発見して慌てて急制動の措置を取つたが間に合わず、加害車の前部を被害車の左側面に接触させた。

6  一方原告は、第一道路を越谷方面から大宮方面へ向けて時速約五〇キロメートルの速度で進行して本件交差点に差し掛かつたところ、本件交差点の約一七メートル手前の地点で加害車が第二道路の大崎方面側から本件交差点に進入してくるのを認め、急制動の措置を取るとともにハンドルを右に転把したが間に合わず、加害車の前部に被害車の左側面を接触させるとともに、折から進行してきた対向車の右側面に被害車の右前部を接触させた。

以上の事実が認められ、右認定に反する原告本人の供述部分は、前掲その余の証拠に照らして信用するに足りず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。右事実に徴すると、訴外聰夫は、本件事故当時加害車を自己のために運行の用に供していた者であるというべく、また、被告圭子は、本件交差点の手前で一時停止後再び発進するに際しては、交差する第一道路を走行する車両の有無を十分確認し、第一道路を走行する車両の進行を妨害しあるいは右車両と接触することがないようにすべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠つた過失により本件事故を発生させたものというべきである。

したがつて、訴外聰夫は、加害車の運行供用者として、自賠法三条に基づき本件事故により原告が被つた人身損害を賠償すべき責任があるというべきところ、同人が昭和五一年五月二日死亡したため、同人の妻被告かく、長男被告功、長女被告敦子及び次男被告眞は、訴外聰夫に属した右損害賠償義務を法定相続分に従いそれぞれ相続した。

また、被告圭子は、民法七〇九条に基づき本件事故により原告が被つた損害を賠償すべき責任がある。

三  次に、請求原因3(原告の傷害及び治療経過)の事実について判断する。

1  原告が、本件事故後、博仁会共済病院、大宮中央病院、大宮赤十字病院、名倉病院、日大板橋病院、矢部病院及び赤羽中央病院に入・通院したことは当事者間に争いがなく、いずれも成立に争いのない甲第三号証の三、第六号証の一及び二、第七号証、第八号証の一、第九号証、第一〇号証の一ないし三、第一一号証、第一三号証の一ないし四、第一四号証の一及び二、第一六号証及び第四〇号証ないし第四二号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第六号証並びに原告本人尋問の結果によれば、原告が、本件事故による傷害の診察、治療のため、博仁会共済病院に昭和五〇年七月一七日に通院し、同月一八日から同月二五日まで入院し、大宮中央病院に同月二八日から同年八月一五日まで入院し、同月一八日から同月二五日まで通院(実日数二日)し、その間の同月二一日に渋谷診療所に通院し、大宮赤十字病院に同月二二日から同年九月一八日まで入院し、その後昭和五一年四月二一日まで同病院に通院(実日数九二日)し、名倉病院に同年三月三一日から同年四月二六日まで通院(実日数二日)し、同月二七日から同年五月二一日まで入院し、さらに同年五月二四日以降は日大板橋病院で通院治療を継続している(昭和五三年六月二一日までの通院実日数少なくとも六八日)ほか、矢部病院に同年八月一八日から昭和五三年五月一八日まで通院(実日数三六六日)し、その後同年六月六日まで同病院に入院し、昭和五二年一〇月五日から昭和五三年六月二八日までの間赤羽中央病院にも通院(昭和五三年六月二一日までの通院実日数少なくとも一七日)したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  ところで、原告は、本件事故により、脳内出血、脳動脈・椎骨動脈変形、脳血栓初期状態、外傷性てんかん、頚椎骨折、頚椎外傷による左上肢拍動消失、発作性上室性頻拍症、腰椎骨折の外傷害を負つたと主張するので以下検討する。

(一)  まず、脳内出血、脳動脈変形及び脳血栓初期状態について、原告は、大宮赤十字病院及び日大板橋病院においてそのような診断を受けたと供述するが、いずれも成立に争いのない甲第四号証、第三〇号証、前掲第六号証の一及び二、第一〇号証の一ないし三、第一三号証の一ないし四及び第四〇号証ないし第四二号証によれば、右各病院の診断書、自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書及び診療報酬明細書には脳内出血、脳動脈変形及び脳血栓初期状態という病名の記載がないことが認められるうえ、東京大学医学部附属病院(脳神経外科)に対する鑑定嘱託の結果によれば、昭和五一年六月八日付日大病院脳血管撮影写真、大宮赤十字病院において昭和五〇年八月二二日から同年九月八日の間に行われた脳血管撮影写真、昭和五三年七月一〇日付日大板橋病院脳コンピュータ断層撮影写真及び昭和五八年九月一六日東京大学医学部脳神経外科外来において原告に対して行つた脳コンピュータ断層撮影を検討しても、脳内出血、脳動脈変形及び脳血栓初期状態の所見がいずれも認められなかつたことが認められ、これらの事実に照らし、原告本人の右供述はたやすく信用することはできず、他に原告が本件事故により脳内出血、脳動脈変形及び脳血栓初期状態の各傷害を負つた事実を認めるに足りる証拠はない。

(二)  次に、椎骨動脈変形については、前掲甲第六号証の一、第三〇号証及び第四〇号証によれば、日大板橋病院の診断書及び自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書には、椎骨動脈の走行異常が原告の他覚的所見として記載されていることが認められるものの、前掲鑑定嘱託の結果によれば、昭和五一年六月八日付日大板橋病院脳血管撮影写真、同年六月二二日付日大板橋病院椎骨動脈撮影写真及び大宮赤十字病院において昭和五〇年八月二二日から同年九月八日の間に行われた脳血管撮影写真を検査しても、一見して明らかといえるほどの異常所見は見られないこと、椎骨動脈の第四頚椎部にわずかなくびれが見られるが、これは正常人でもしばしば見られる程度のものにすぎず、日大板橋病院の前記他覚的所見はこれを指すものであることが認められ、この事実に照らして考えると、日大板橋病院の前記診断書等の記載から、右椎骨動脈のくびれが本件事故によつて生じたものであるという因果関係を推認することはできないというべきであり、右の認定判断に反する原告本人の供述部分はにわかに信用することができず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(三)  また、頚椎骨折について、原告は、大宮赤十字病院及び日大板橋病院においてそのような診断を受けたと供述するが、前掲甲第六号証の一、第七号証、第一三号証の三及び四、第一四号証の一及び二、第三〇号証、第四〇号証及び第四二号証並びに前掲鑑定嘱託の結果によれば、日大板橋病院、矢部病院の診断書、自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書及び診療報酬明細書には頚椎骨折という傷病名の記載はなく、第四頚椎を中心とした運動時及び静止時の位置異常、第三頚椎から第六頚椎の変形、変形性頚椎症あるいは変形性脊椎症という他覚所見の記載があるにとどまること、大宮中央病院の診療録の写し、博仁会共済病院及び大宮赤十字病院の頚椎レントゲン写真、昭和五一年五月二日付日大板橋病院頚椎レントゲン写真及び昭和五六年九月一六日東京大学医学部脳神経外科外来において原告に対して行つた頚部レントゲン写真の結果を検討しても、明らかな骨折の所見はなく、ただ、第三・四・五椎体後縁にわずかな過骨が存在するとともに、第三・四椎体間に前後屈時約二ミリメートルのずれが認められ、軽度の変形性頚椎症の初期の所見があるにすぎないことが認められ、これらの事実に照らし、原告本人の右供述はにわかに措信することはできず、他に原告が本件事故により頚椎骨折の傷害を負つた事実を認めるに足りる証拠はない。

(四)  次いで、腰椎骨折については、前掲甲第六号証の一及び第四〇号証によれば、日大板橋病院の診断書及び自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書には、腰椎骨折が原告の他覚的所見として記載されていることが認められるものの、前掲鑑定嘱託の結果によれば、名倉病院の腰椎レントゲン写真、日大板橋病院整形外科診療録及び昭和五五年一二月五日付日大板橋病院腰椎レントゲン写真を検討した結果、第五腰椎の変形は所見として認められるが、腰椎骨折と断定できる所見はないことが認められ、この事実に照らして考えると、日大板橋病院の前記診断書等の記載から、本件事故によつて原告が腰椎骨折の傷害を負つたことを推認することはできないというべきであり、右の認定判断に抵触する原告本人の供述部分は軽軽に採用することができず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

(五)  さらに、外傷性てんかんについて検討する。

前掲甲第六号証の二、第一三号証の二、第一六号証及び第四一号証によれば、日大板橋病院及び赤羽中央病院の診断書、自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書及び診療報酬明細書には、外傷性てんかん又はてんかんが原告の他覚的所見として記載されていることが認められるとともに、前掲鑑定嘱託の結果によると、日大板橋病院神経内科診療録及び同病院リハビリ科診療録には原告が痙攣発作を起こした旨の所見が記載されていること、昭和五六年九月一六日東京大学医学部脳神経外科外来において鑑定脳波を記録中、原告が二度痙攣発作を起こしたことが認められる。

しかしながら、前掲鑑定嘱託の結果によると、(1)てんかんとは、脳神経細胞の同期的・過剰な発射によりもたらされる痙攣あるいは失神を主徴とする疾患であるが、痙攣、失神をもたらす病態はてんかんだけではなく、起立性低血圧や心因性のものなど数多くの種類があり、脳神経細胞の同期的・過剰な発射が証明されない限り、てんかんという病名はつけられないこと、(2)脳神経細胞の同期的・過剰な発射を証明する有力な手段が脳波であり、発作間欠期においても、神経細胞の過剰な放電は、棘波(スパイク)や鋭波(シャープウェーブ)あるいは棘徐波結合(棘波と徐波が連続して出現する脳波パターン)として捉えることができること、(3)東京大学医学部脳神経外科において、昭和五〇年七月二九日付大宮中央病院脳波、昭和五一年六月一一日付日大板橋病院脳波並びに大宮赤十字病院診療録に記載されている昭和五〇年九月五日付脳波所見及び同年一二月一五日付脳波所見を検討したところ、基礎律動は概ね正常であり、昭和五一年六月一一日付日大板橋病院脳波において過呼吸時に著名なδ波の出現即ちビルドアップを認めたことはあるが、右各脳波において明確なてんかん波(棘波、鋭波、棘徐波結合)が見られたことはないこと、(4)鑑定脳波中にも棘波は見られないばかりでなく、鑑定脳波を記録中に原告が痙攣発作を起こした時の脳波もてんかん発作時に特有のパターンを全く示さなかつたうえ、発作の様子も典型的なてんかん発作のパターンとは異なり、むしろ心気的な症状が前景となつていること、(5)脳波中に非突発性徐波の出現あるいは増強の見られることをビルドアップといい、過呼吸による徐波の出現は、一般に種々の型のてんかんや脳に器質的疾患がある場合に顕著に見られるが、過呼吸を二、三分間行うと、成人の正常者においても約一〇パーセント程度見られるから、これだけではてんかんの証拠とはなり得ないことが認められ、これらの事実に照らして考えると、前記各病院の診断書の記載から、原告がてんかんの疾患を有していることを推認することはできないというべきであり、右の点に関する原告本人の供述部分はにわかに信用することができず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

(六)  ところで、前掲甲第六号証の一及び二、第七号証、第一三号証の二、第一六号証、第三〇号証及び第四一号証によれば、日大板橋病院、矢部病院及び赤羽中央病院の診断書、自動車損害賠償責任保険後遺障害診断書及び診療報酬明細書には、原告の他覚所見として頚部運動時の左右上腕動脈の拍動消失又は血流障害及び発作性上室性頻拍症が記載されていることが認められるほか、前掲鑑定嘱託の結果によると、昭和五六年九月一六日東京大学医学部脳神経外科外来において原告を診察した際にも左上肢脈拍減弱の所見が見られたこと及び頚椎捻挫の後遺症にはしばしば自律神経失調を伴い、心頻拍や上肢脈拍の左右差も自律神経失調の一つの発現形態と理解しうることが認められ、これらの事実に照らして考えると、本件事故によつて、原告は、頚椎外傷による左上肢拍動減弱、発作性上室性頻拍症の各障害を有するに至つたものと認められる。成立に争いのない乙第九号証の右認定に反する記載部分はこれを採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  以上認定した事実に前掲各証拠を併せ考えると、原告が本件事故によつて受けた障害及びこれによる後遺障害については、(一)原告は、本件事故により、頚椎捻挫(頚部外傷)と頭部外傷(脳振盪)を中核とする傷害を負い、軽度の変形性頚椎症の初期の所見を生ずるに至つたこと、(二)右傷害により、頭痛、頚部痛、頭頚部圧痛、頚部運動制限(正常の半分程度)、上肢の感覚障害(しびれ感)、反射の左右差、めまい、平衡障害等の頚部症候群が自律神経失調を伴つて出現し、左上肢拍動減弱、発作性上室性頻拍症の各症状を引き起こしたが、頚椎の変形や椎骨動脈のくびれは、修飾因子として右症状の増悪に関与している可能性があること、(三)腰部に関する症状は、博仁会共済病院、大宮中央病院及び大宮赤十字病院の各診療録の病歴及び初診時の欄に記載がなく、日大板橋病院において本件事故後約一年を経過した時点で初めて記録上に現われているうえ、前記認定の事故態様も、腰部に重篤な傷害を与えたとは考えにくいものであることから見ると、腰痛、下肢のしびれ、歩行障害等の腰部症候群は、右頚部症候群により二次的に誘発された可能性が強く、腰椎の変形と本件事故との因果関係は明確ではないこと、(四)痙攣・失神の症状が本件事故後四か月目から起こつていることから見て、本件事故と何らかの因果関係を持つと判断するのが自然であるところ、その発症原因としては、発作の様子が心気的な色彩を持つ症状が前景になつていることから、頚部症候群とそれに伴う高度のストレス及び自律神経失調症によりもたらされた心因反応性のものが考えられること、(五)原告の症状は、前記頚部症候群及び腰部症候群の強い自覚症状、痙攣・失神の症状及び脳波異常を残して遅くとも昭和五三年六月二一日には固定するに至つたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

もつとも、被告は、原告の傷害及び後遺障害は訴外山田との間の交通事故によるものであること及び原告の傷害及び後遺障害の症状には原告の素因である心因神経症及び生来のてんかん質が大きな影響を及ぼしていることから、右傷害及び後遺障害と本件事故との間には相当因果関係がないというべきであると主張する。

しかしながら、前掲鑑定嘱託の結果によれば、訴外山田との間の交通事故後本件事故以前に撮影した昭和五〇年六月七日付大宮中央病院頚椎レントゲン写真には特に異常を見い出さなかつたこと及び訴外山田との間の交通事故後本件事故以前に記録した昭和五〇年七月八日施行の大宮中央病院脳波第一二三四号には過呼吸時にも異常所見は見られなかつたことが認められるうえ、成立に争いのない甲第三七号証の八によれば、大宮中央病院脳神経外科今関医師により、訴外山田との間の交通事故における原告の傷害について、「昭和五〇年六月三〇日初診、脳超音波検査異常なし、脳波検査異常なし、自覚的頭頚部の疼痛、同年七月一〇日治癒」と診断されていることが認められ、これらの事実に照らすと、右事故の存在は、原告の前記後遺障害と本件事故との間の因果関係の存在を覆すに足りないというべきである。

また、確かに前掲乙第六号証によれば、原告は、もともと神経質な性格であるうえ、本件事故約三月前の昭和五〇年四月ころ、経営していた学習塾が人手に渡つて経済的な圧迫が重なり、このため妻がノイローゼになり、原告自身かなり精神的に疲れていたこと、原告は、右のような状態にあつた昭和五〇年六月六日訴外山田との間に交通事故を起こして、その精神状態をますます悪化させ、大宮中央病院治療時には、一身上の悩みを事故による症状と混同して訴える傾向があつたほか、大宮赤十字病院において原告の診療を担当した医師も、後遺障害に心因性の要素が加味されていると判断していることが認められるが、原告の前記後遺障害は、前示のとおり、本件事故を契機として発現したものであるばかりでなく、他方、前掲鑑定嘱託の結果によれば、頚部症候群に自律神経失調症を伴うことはしばしば見られることであること、原告の症状の主因は頚部症候群であつて、有力な先天的素因などの他の原因はないと考えられることが認められるのであつて、これらの事実に照らすと、前記認定のような原告の性格及び精神状態は、原告の前記後遺障害と本件事故との間の因果関係の存在を覆すには足りず、原告の右後遺障害は、本件事故による受傷及び原告の性格等原告側の事情が競合して発症したものと認めるのが相当であり、本件事故と原告の右後遺障害との間には相当因果関係があるものというべきである。

四  進んで、請求原因4(損害)の事実について判断する。

1  治療費 三五七万二八〇六円

前掲甲第八号証の一、第九号証、第一〇号証の一ないし三、第一一号証、第一三号証の一ないし四、第一四号証の一及び二、第一六号証並びに成立に争いのない甲第一五号証によれば、原告は、博仁会共済病院の治療費として一二万七六二〇円、大宮中央病院の治療費として三四万七五四〇円、大宮赤十字病院の治療費として八四万一二八六円、名倉病院の治療費として五四万四〇五〇円、日大板橋病院の治療費として七一万五二二五円、矢部病院の治療費として九一万三一〇〇円を下らない額、及び赤羽中央病院の治療費として八万三九八五円をそれぞれ負担したこと並びにこの損害は本件事故と相当因果関係があることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  付添看護費 三一万〇二三八円

(一)  弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一二号証の一ないし三によれば、原告は、名倉病院の入院付添婦代として一一万〇二三八円を負担したこと並びにこの損害は本件事故と相当因果関係があることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  弁論の全趣旨によれば、原告は、前記認定の入院期間(合計一〇〇日間)中妻の付添看護を受け、その費用及び交通費として一日二〇〇〇円合計二〇万を下らない額を負担したこと並びにこの損害は本件事故と相当因果関係があることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(三)  前記認定の本件事故の態様並びに原告の傷害及び後遺障害の程度などの諸般の事情に照らし、通院について妻の付添が必要であつたことは認め難く、妻の通院付添看護交通費及び通院付添諸雑費については、本件事故と相当因果関係がある損害と認めることはできない。

3  入院雑費 五万円

弁論の全趣旨によれば、原告は、前記認定の入院期間(合計一〇〇日間)中入院雑費として一日に付き五〇〇円合計五万円を下らない額を負担したこと及びこの損害は本件事故と相当因果関係があることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

4  通院交通費 二八万九八〇〇円

弁論の全趣旨及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第一七号証によれば、原告は、前記認定の通院期間中通院交通費として合計二八万九八〇〇円を下らない額を負担したこと及びこの損害は本件事故と相当因果関係があることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

なお、通院雑費については、これを要したことを認めるべき特段の事情を認めるに足りる証拠がない。

5  休業損害 一二九三万円

原告本人尋問の結果とこれにより真正に成立したものと認められる甲第一九号証の一及び二並びに前掲乙第六号証によれば、原告は、昭和四九年八月一日埼玉県大宮市所在の訴外佐野彦一が個人で営業するクロレラ販売所に入所し、本件事故当時同所でクロレラの販売業務に従事していたが、本件事故による受傷のため、昭和五〇年七月一八日同所を退職し、その後は収入がなかつたこと、原告の本件事故直前三か月間の平均月収は三一万八〇〇〇円で、ほかに年六〇万円のボーナスを得ていたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。したがつて、本件事故に遭遇しなければ、原告は、前記認定のとおり本件事故による後遺障害が固定した昭和五三年六月二一日までの三五か月間に右認定の収入と変わらない収入を得ることができたものと推認することができ、右損害は、前記認定の原告の本件事故による受傷の程度に照らし本件事故と相当因果関係のある損害と認められるから、その間の原告の休業損害は、次の計算式のとおり、一二九三万円となる。

(計算式)

三一万八〇〇〇円×三五+六〇万円×三=一二九三万円

6  逸失利益 三二八九万五〇〇四円

前掲甲第六号証の一によれば、原告は、本件事故による後遺障害が固定した昭和五三年六月二一日当時三九歳であつたことが認められるところ、本件事故に遭遇しなければ、原告は、経験則に照らし、三九歳から六七歳までの二八年間前記認定の収入と変わらない収入を得ることができたものと推認することができ、右推認を覆すに足りる証拠はない。そして、成立に争いのない乙第八号証、前掲甲第六号証の一及び乙第九号証並びに前掲鑑定嘱託の結果によれば、原告は、日大板橋病院脳神経外科山田実絋医師により、労災障害等級第五級一の二程度の後遺障害が残つていると診断されているが、右は単なる参考意見にすぎないうえ、原告の主訴を中心とした診断がその基礎になつていること、原告は、日大板橋病院の右診断に基づき大宮労働基準監督署から労災保険法施行規則一八条別表第二の廃疾等級表の廃疾等級第三級一に該当するものと認定されたが、右は労災障害等級第五級一の二に相当すること、東京大学医学部脳神経外科では、原告の後遺障害は、たかだか労災障害等級第五級一の二あるいは第七級三程度のものと判断していることが認められ、これらの事実に加え、前記認定の原告の後遺障害の程度、特にその症状の中心が強い自覚症状であること及び弁論の全趣旨から認められる本件訴訟における原告の訴訟活動の状況など諸般の事情を考え併せると、原告は、本件事故によりその労働能力の五〇パーセントを喪失するに至つたものと認めるのが相当であり、右認定に反する原告本人の供述部分は信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

そこで、前記認定の原告の本件事故直前三か月の平均収入を基礎とし、労働能力喪失率を五〇パーセントとし、ライプニツツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除する方式を相当として原告の逸失利益の原価を算出すると、次のとおり三二八九万五〇〇四円(一円未満切捨て)となる。

(計算式)

(三一万八〇〇〇円×一二+六〇万円)×〇・五×一四・八九八一=三二八九万五〇〇四円(一円未満切捨て)

7  慰藉料 合計七二〇万円

(一)  入・通院慰藉料 一二〇万円

前記認定の原告の傷害の内容、程度、入・通院期間等の諸事情に照らし、原告が本件事故によつて被つた傷害に対する慰藉料は、一二〇万円をもつて相当と認める。

(二)  後遺症慰藉料 六〇〇万円

前記認定の原告の後遺障害の内容、程度等に照らし、原告が本件事故によつて被つた後遺障害に対する慰藉料は、六〇〇万円をもつて相当と認める。

なお、原告は、被告らが、医師と結託して原告の治療を妨害したため、十分な治療を受けられずに入退院を繰り返さざるをえなくなり、また、原告の請求にもかかわらず、被告らが治療費の支払に応じなかつたため、その捻出のために重大な苦痛を味い、とりわけ、原告の症状が極めて悪く、外傷性てんかんと診断されているにもかかわらず、被告らが誠意をもつて被害の回復をはかろうとしない旨主張するが、右の主張にそう原告本人の供述部分はにわかに信用することができず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

8  弁護士費用

原告主張の弁護士費用は本件事故と相当因果関係のある損害とは認められない。

9  以上認定のとおり、原告の損害の合計額は五七二四万七八四八円となる。

五  過失相殺等

前記認定事実によれば、原告には、本件事故現場が被害車の進行方向から第二道路に対する見通しのきかない交差点であつたから、本件交差点に進入する際、右第二道路から本件交差点に進入してくる車両のあることを警戒し、前方を注視するとともに、速度を控え目にして進行すべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然制限速度一杯の時速五〇キロメートルの速度で進行した過失があると認められるから、右過失を斟酌して原告に対する損害賠償額を減額するのが相当である。

ところで、前記三の3で認定判断したとおり、原告の前記後遺障害の発現は、本件事故のほか、原告の神経質な性格や本件事故当時の原告の不安定な精神状態等に基因するものというべきところ、本件事故を除く右のような事情は、主として被害者側の事情に属するものと評価すべきものであるから、これに基づく損害を加害者側に全部負担させることは、損害を公平に分担させるという損害賠償法の根本理念からみて妥当でないというべきである。そこで、民法七二二条所定の過失相殺の法理を類推適用し、被害者側の右のような事情を斟酌して加害者の賠償すべき損害賠償額を減額するのが相当である。

したがつて、右過失相殺及び原告の性格等の寄与による減額を併せ考えると原告の全損害の五割を減額するのが相当であるから、原告の全損害は、二八六二万三九二四円(一円未満切捨て、慰藉料三六〇万円、その余の損害二五〇二万三九二四円)となる。

六  損害のてん補

原告が、本件事故により、自賠責保険から一〇〇万円、労災保険から、休業補償として九八六万八八一二円、治療費として三〇八万六四七四円の支払を受けたことは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一四号証によれば、原告は、労災保険から、昭和五三年一一月一日から昭和五九年四月三〇日までの間、傷病補償年金として一九二七万〇八四八円及び傷病特別年金として合計三九〇万三二四七円の支払を受けたことが認められる。ところで、前掲乙第一四号証によれば、右休業補償給付九八六万八八一二円のうち二四七万九三二〇円は休業特別支給金であることが認められるところ、右休業特別支給金及び傷病特別年金は、いずれも労災保険法一二条の八に規定されている保険給付ではなく、同法二三条の規定に基づき労災保険の適用事業にかかる労働者の福祉の増進を図るための労働福祉事業の一環として給付されるものであつて、労働者が被つた損害のてん補を目的とするものではないから、損害を算定するにつきこれを損益相殺の法理によりその損害額から控除することはできないものと解するのが相当である。そうすると、損害額から控除すべき労災保険からの給付金額は二九七四万六八一四円となり、弁論の全趣旨によれば、原告は、これを慰藉料を除く前記損害に充当したことが認められる。そうすると、原告の慰藉料を除く損害はすべててん補を受けたことになるから、自賠責任保険からの給付金一〇〇万円を減額後の慰藉料三六〇万円に充当すると、原告の残損害額は二六〇万円となる。

七  以上のとおりであるから、原告の本訴請求は、被告かくに対し、法定相続分に従い右損害金の九分の三である八六万六六六六円(一円未満切捨て)、被告功、被告敦子及び被告眞に対し、それぞれ法定相続分に従い右損害金の九分の二である五七万七七七七円(一円未満切捨て)、被告圭子に対し、右損害金二六〇万円及び右各金員に対する訴状送達の日の以降である昭和五四年一月一八日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める限度で理由があるからいずれもこれを認容することとし、原告の被告らに対するその余の請求は理由がないのでいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 塩崎勤 宮川博史 潮見直之)

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